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我儘な志賀流

2022/07/22 05:50:19

  おはようございます。
昨晩から降った雨で、ところどころに水溜りがまだ残っていました。
せっかくの白いシューズが朝から汚れてしまったのが残念でしたが、すぐに洗ってまた白さを取り戻しました。
やはり、白いものはあくまでも白くです。

 昨日は奈良に行きましたが時間があったので、「petitならたび」を楽しみました。
奈良公園の奥へと足を進めると、そこには奈良時代からの自然がそのまま残っているような静寂で素朴な世界が広がっています。
ところどころにある山荘風の建物は年代を感じさせますが、そこがまたまわりの自然に融け込んで、さらに奥深い味わいを出しています。
まるでパワースポットのような空間でした。
そのなかに、ある邸宅を見つけました。
「志賀直哉旧邸」と書かれていました。

 志賀直哉は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。
志賀直哉のファンだったというわけではないのですが、ある本に「志賀直哉の無駄のない文章が小説文体の理想のひとつと見なされ、高く評価されている」とありました。

 「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらあのような文章が書けるのでしょうか」という芥川龍之介の質問に、
「文章を書こうと思わずに、思うままに書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」と夏目漱石が答えました。
また、「あれほどの事物描写の能力を、自分は持ち合わせていない」と作家志望だった和辻哲郎はその道を諦め、学問の道へと進みました。

 このふたつのエピソードは、志賀直哉の魅力の本質を解き明かしています。
「思うまま書く」志賀流は、「極めて我儘な書き方」でもあります。
わかりやすくとか読者のためにという配慮よりも、興味を抱いた対象にはありありとかたちを目に浮かべ、できるだけ言葉を節し、強く簡潔に素晴らしい鮮やかさで描き出しています。
宮本百合子はそのことを「志賀さんの作品は活字が立っている」と評しました。

 今、あるがままの自然の緑がとても美しい庭を眺めています。
そこに夏の花である愛らしい百日紅が色を添えているのが、とても小粋な演出です。
それがわざと飾られているわけではなく、至って自然なのです。
この美しくどこか懐かしいロケーションを、「思うままに書く」志賀流では、どのような活字として表れるのだろうかと考えていました。

 志賀直哉の奈良での13年間の生活は、彼の生涯のなかで、思うままに暮らし、思うままに語り、思うままに書くというかけがえのない時間となっていたのではないかと思いました。
まさに、我儘な志賀流です。

 今日も、よい一日をお過ごしください。

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